花の兄弟
昔の人は、一年の中でほかの花に先駆けて咲く梅を花の兄と考えました。
遅れて咲く菊を、弟に見立てて弟草と呼んだのです。
弟は、「乙人(おとひと)」が変化したもの。
「乙」は、男女の区別なく、若いことを意味します。「乙女」もそうです。
浦島太郎に出てくる「乙姫様」も、きっと、妹の姫君だったかも・・。
9月9日は重陽の節句。杯に菊の花を浮かべ、宴を催したそうです。
大菊、小菊、色も形もさまざま、本当に沢山の種類があります。
寒くなっても、寒菊、冬菊と呼ばれながら、年の終わりまで楽しませてくれる花。
かわいい弟を愛でるように、古くから日本人に愛されてきたわけです。
威厳や、神々しさなどを持ち合わせ、今では、桜と並んで日本の国花です。
小さな弟が立派に成長した姿を見るような感覚がよぎります。
心の翻訳家
蛁蟟・・・・・・つくつくぼうしって・・こんな字を書くんですね。読めませんよね。(爆)
つくつくぼうしってそう思い込んで聞くと、もうつくつくぼうしといか聞こえませんよね。
昔の人は、様々な聞き方をしたようです。
旅の途中、病気で亡くなった筑紫の人の魂が、
「筑紫恋しい、筑紫恋しい」と鳴く・・と言う伝説もあります。
「美し、佳し(うつくし、よし)」と聞いた人、「つくづく惜し」と聞いた人
「つくづく憂し(うし=つらい)」と聞いた人・・・・いろいろありますね・・・
蛁蟟だけではありません・・ミンミンゼミは「見う見う(会いたい会いたい)」と鳴き
クマゼミは「然か然か(しかしか=そうだそうだ)」と鳴いたそうです。
今では音を写し取るだけの鳴き声も、昔は言葉として聞いたのですね。
自然と会話する中で、自分を見つめなおしていたのかもしれませんね。
蛁蟟の鳴き声は・・あなたにはどう聞こえますか?
やっぱり・・・つくづく惜しい~~だよね(爆)
いや!ツクツクボウシとしか聞こえなって?・・そうですか・・・。(笑)
儚くてもむなしくても・・・
手に取るとふわぁっと軽くて、少し力を入れるとかさかさ潰れてしまいそうな危うさ。
到底、美しいとはいえないこの蝉の抜け殻をこんな美しい言葉で言い表します。
この世に生きている人や、現世のことを意味する「現身(うつしおみ)」(現人)と
いう言葉が転じて「うつそみ」、やがて「うつせみ」となり、空蝉にかけたようです。
蝉が何年も土の中で過ごし、ようやく脱皮して鳴ける様になっても、
数日しか生きられないのは、皆様の良く知られているとおりですね。
その儚さと、空しくても、精一杯生きるのは、蝉も人も同じ。
今日も精一杯、全身全霊を傾けて、蝉が鳴いています、そろそろ蝉の種類も変わり
つくづく惜しいと~~この世をはかなんで聞こえる気がする蝉の声。
「暮泥む」 くれなずむ
武田鉄也さんの歌の中に出てくる「暮泥む」という言葉・・・・・
暮れようとしているのに、暮れる事が出来ない空・・夏の夕方は、特に感じますね。
ゆっくり降りてくる闇の中、家路につく人が行き交う街。少しずつ変わってゆく空の色
焦燥感と安らぎの入り混じった複雑な気持ちが胸をよぎります。
やり残したことがあるようで、終わった仕事にほっとしている。
でも、まだ夜は長くて、このまま眠るには惜しい気がする。
流行の言葉で言えば・・「もったいない」のである。
暮泥む空は、そんな胸のうちを映し出しているようです。
駆け足で通り過ぎようとしている足をふと止めて、空を見上げてみませんか?
暮れそうで暮れない、あなたの心が写っているかもしれませんよ。